福祉の歴史

日本の福祉の歴史②〜『救護法』戦前はデッドオアアライブ

YAMADAです。

今回は前回からの続きで戦前に施行された救護法について解説していきます。

↑前回の記事はこちら↑

恤救規則は日本の国家としての初の法令制度でした。

しかし実際には日本の福祉政策をさかのぼると、推古天皇(592~628年)の時代まで行き着くそうです。

日本最古の収容保護施設の悲田院は頼る者のいない児童と老人<孤幼、孤老>が対象でした。

古くから福祉政策は行われてきたんですね。

NOJIMA

推古天皇っていつの時代の人?

KOJIMA

なんか恤救規則より手厚そう

推古天皇の飛鳥時代といえば仏教伝来や聖徳太子など、イベントてんこ盛りな時期でもあるため歴史好きのYAMADAとしてはロマンを感じます。

さて、1929年(昭和7年)になるとギリギリ生きれるレベルの扶助だった恤救規則に代わり救護法が登場します。

この救護法はさまざまな理由で生活できない者を救護する法律でした。

対象者は65歳以上の老衰者13歳以下の幼者妊産婦不具廃疾(身体障害者)、傷痍その他精神・または身体の一時的な故障により業務の遂行が著しく困難な者と、恤救規則と比較して幅広いものでした。

NOJIMA

手厚そう!生きれる!

KOJIMA

いやこれも結構きついよ

救護法における高齢者に焦点を当ててみると、『65歳以上の身寄りがなく生活に困窮していて老衰している者』に限定されています。更に救護法の対象になった場合、選挙権と市民権が剥奪されました。

NOJIMA

は!?!?

KOJIMA

命が助かるかわりに人権がなくなる

当時日本は大家族で暮らすのが普通であったため『老人は家族でみるもの』という認識が強く、国が扶助するのはおかしくない?という風潮でした。その流れなのか、当時の養老院などの施設も単に収容するだけであとは何もしないというものだったそうです。そういった背景もあり、老人が物乞いなどで道にいるのは珍しくない光景だったとか。

しかも国外との戦争真っ只中の時代。弱い者を助けるのは後回しで、とにかく国として強くなるのが先決だったんですね。

NOJIMA

救護とはいったい

その後第二次世界大戦が始まってからは救護法を補う形で、母子保護法医療保護法を施行。

1937年(昭和12年) 母子保護法13歳以下の子を持つ貧困母子家庭を扶助。
1941年(昭和16年) 医療保護法生活困窮者が対象の医療扶助。母子保護法と救護法の医療保護をまとめたもの。

他にも軍事扶助法や戦時災害保護法などが施行されましたが、これらの制度は後付けのつぎはぎ状態でありうまく機能しなかったそうです。

こういうのを勉強すると、思想もそうですが人権というものが国の豊さとか情勢に左右されるのがよくわかりますね。国として余裕がない時に、弱者はどのように生きていたのかを思うと、なんとも言えない気持ちになります。

さて、この回で扱った内容は以下のような感じで出題されるのですが、前回の恤救規則と同じ問いです(すみません)。

問: 日本の社会保障・社会福祉に関する記述のうち、
正しいものを一つ選びなさい

  1. 「恤救規則」(明治7年)は、国家責任の理念に基づいた救貧対策である。
  2. 民生委員制度の前身は、大正期、泉橋慈善病院に配置された婦人相談員である。
  3. 「救護法」には、現在の日本国憲法第25条における生存権規定の根拠となった原理が示されている。
  4. 連合国軍総司令部(GHQ)による「社会救済に関する覚書(SCAPIN775)」(昭和21年)では、無差別平等などの原則が示されている。
  5. 堀木訴訟は、生存権規定や生活保護基準のあり方に大きな影響を与え「人間裁判」と称された。

これまでの解説で、選択肢③の正否がわかります。

救護法戦前の法令であり、生存権規定の根拠となったのはワイマール憲法のため、③は間違い。

正解は④です。この辺りも内容は近年の過去問には出題されていないようなので、絶対覚えておかなきゃいけないものではなさそうです。

それではまた次回!

ABOUT ME
YAMADA
キラついたIT業界で企画職として地獄の日々を送っていたが、数年前に介護職へ転職。 のほほんとした毎日を過ごすこと数年、ついに介護福祉士試験を受験することに。危機感が足りないことにやべえと思っている。 アラサー♀

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